LGBTと
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外国の動向差別職場2023.05.31

LGBTI施策の世界標準「LGBTI企業行動基準」とは? 企業が失敗しないための基本5カ条


ダイバーシティ&インクルージョンの重要性が浸透しつつある今、その重要性・必要性は理解しつつも、どのように行動に反映したらよいか分からない企業も多いでしょう。実は、その指針として役立つ資料を2017年9月に国連が発表しています。「LGBTIの人々に対する差別への取組み 企業のための行動基準」(以下、国連LGBTI企業行動基準)は、現在360社以上の企業が賛同する国際的な指針です。本稿では、その概要や策定経緯、特徴、そして普及にあたっての取り組みを概観し、「国連LGBTI企業行動基準」の成果と課題を考察します。(この記事はオンラインメディアBusiness+ITに2022年6月9日に掲載されたものです)。




<目次>
1. LGBTI当事者を取り巻く現実
2. 国連LGBTI企業行動基準とは? 概要を解説
3. 国連LGBTI企業行動基準の狙い
4. 判断が難しい局面、他社はどうした? イケアなど対応事例
5. 世界で賛同企業が広がる一方、日本の賛同企業は5社のみ
6. 策定にかかわった担当官が語る成果と課題




LGBTI当事者を取り巻く現実
 残念ながら、世界ではLGBTI(注1)への差別や不当な扱いがまだまだあるのが現実です。日本を除くG7では同性カップルの婚姻の自由(イタリアでは婚姻に準ずる法的保障)が認められるなど、確実に変化は起きていますが、2021年時点においても国連加盟国の69カ国では同性間の関係はいまだに刑罰対象であるという現実があります。

注1:レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、インターセックスの頭文字。「LGBTQ」や「LGBT+」などとも表現されるが、本稿では以降で紹介する「企業行動基準」に起用された表現「LGBTI」で統一する。




G7諸国における、同性パートナーの関係に対する法的保障の有無
(出典:2021年6月掲載『160以上の企業・団体が「同性婚」賛同、共通して挙げる“企業視点のメリット”とは何か』より引用)




 また、LGBTI当事者に対するいじめや被害もあとをたちません。大阪市による2019年の調査では、自殺未遂を経験したLGBTI当事者は、当事者でない層と比較して、LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル)が約6倍、T(トランスジェンダー)が約10倍という深刻な結果が出ています。




国連LGBTI企業行動基準とは? 概要を解説
 2017年9月、国際連合人権高等弁務官事務所(以下、OHCHR)が公表した「LGBTIの人々に対する差別への取組み 企業のための行動基準」(以下、国連LGBTI企業行動基準)は、そのような現実を変えるための企業の責任そして企業への期待を前提に、企業が職場そしてコミュニティー全体で差別に取り組むために実施できるまたは実施が期待される措置を5つの行動基準として定め、世界に発信しています。
 5つの行動基準は国連広報センターの概要資料がわかりやすくまとめていますので、詳細はそちらに譲りたいと思いますが、その概要は以下のとおりです。

どんな時でも
1.「人権を尊重する」
 LGBTI当事者の人権が尊重されるよう、企業は必要となる方針・規程を制定し、モニタリング・調査を行い、人権が尊重されていない実態があればその是正に取り組むよう努めるべきことについて定めます。

職場で
2.「差別をなくす」
 企業は、社員の採用、雇用条件、就業環境、福利厚生、プライバシー、ハラスメントへの対応について、性的指向、性自認、性表現、性的特徴による差別的取り扱いを行わないよう取り組むべきことについて定めます。
3.「支援を提供する」
 LGBTI当事者が安心して就業できる真にインクルーシブな職場環境・業務環境はいまだ実現していません。企業は、社員が尊厳をもって、またスティグマを抱えることなく業務に従事することができるよう、差別の解消を超えて、安心して就業することのできるインクルーシブな職場を実現するための支援を行うべきことについて定めます。

マーケットで
4.「他の人権侵害を防止する」
 企業は、取引先・顧客を、LGBTI当事者であることを理由として、差別しないよう努め、また、取引先などのビジネスパートナーがそのような差別的な取り扱いを行わないよう努める必要があることについて定めます。国連企業LGBTI行動基準は、企業がビジネスパートナーによる人権侵害への対応を怠ることにより、企業自身の信用が毀損(きそん)される可能性についても言及します。

コミュニティーで
5.「社会で行動を起こす」
 企業が事業を行う国において適切な法令・制度が整備されておらず、LGBTI当事者に対する人権侵害がある場合においても、地域社会・団体と緊密に協議・連携することによって、企業として行うことができる取り組みがあることを国連LGBTI企業行動基準は指摘しています。




国連LGBTI企業行動基準の狙い
 国連LGBTI企業行動基準は、近年特に重要性が高まっている「ビジネスと人権」に関する国連そして企業の取り組みの大きな流れの一環として位置づけられるものであって、LGBTI当事者のみに適用される特殊な基準として策定されたものではありません。
 国連LGBTI企業行動基準策定の直接のきっかけは、2016年、ゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官(当時)がダボスで行われた世界経済フォーラムで、著名企業のリーダーや活動家に呼びかけたことに始まります。
 ゼイド国連人権高等弁務官はLGBTIの人々への差別について、「企業がダイバーシティ&インクルージョンの内部ポリシーを制定することはもとより重要であるが、企業内施策にとどまらず、差別を解消するためにとり得る、またとらなくてはいけない、実践的な施策について話し合うべき時期にきている」と企業のリーダーたちそして活動家に訴えました。
 国連LGBTI企業行動基準は、このダボス会議でのグローバルビジネスリーダーたちの話し合いを重要なきっかけに、OHCHRが欧州、アフリカ、アジア、そして米国で、多くの企業と地域を代表するコミュニティー団体と重ねてきた対話を踏まえて、生まれたものです。
 また、国連LGBTI企業行動基準は以下のとおり、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」そして「グローバル・コンパクト」に立脚するものです。国連の人権にかかわる宣言などには、特に21世紀になってからは、ビジネスや企業が果たすべき重要かつクリティカルな役割が必ず念頭に置かれています。

1948年12月:未曾有の戦禍の経験が、初めて人権保障の目標や基準を国際的にうたった世界人権宣言に結実。
2000年7月:サステイナビリティイニシアチブとして4分野(人権、労働、環境、不販防止)10原則をうたった「国連グローバル・コンパクト」が発足。
2011年3月:国連人権理事会が「ビジネスと人権に関する指導原則」を承認。
2017年9月:以上の流れの中で、国連LGBTI企業行動基準「LGBTIの人々に対する差別への取組みー企業のための行動基準」が策定。




判断が難しい局面、他社はどうした? イケアなど対応事例
 国連LGBTI企業行動基準の大変重要な特徴は、企業による差別の解消に向けた取り組みが画餅に帰さないよう、実践的かつ現実的な施策を示すことを意識して策定されていることです。
 たとえば、事業を展開する国の法律が性的指向や性自認の自由を認めていなかったり、ましてや違法としている場合に、企業は難しい判断を迫られることになります。国連LGBTI企業行動基準は企業がそのような現実に直面することを踏まえ、単なる理想論を掲げるにとどまらず、そのような局面においても企業にできることがあることを示すために参考となる対応事例を示しています。
 このような対応事例は、国連LGBTI企業行動基準の補足資料や、OHCHRと連携する世界経済フォーラムの「LGBTI平等のためのグローバル・パートナーシップ(Partnership for Global LGBTI Equality、以下「PGLE」)」のウェブサイトで参照することができます。
 このような対応事例として、たとえば以下のような事例が国連LGBTI企業行動基準の補足資料に紹介されています。




・イケアの事例
 2013年、スウェーデンの家具メーカー、イケアグループはロシアの反ゲイ・プロパガンダ法を踏まえ、ロシアのオンライン雑誌から同性カップルとその赤ちゃんに関する記事を削除しました。
 このような措置をとったことについて、イケアグループは顧客や人権擁護団体、LGBTIアクティビスト、その他の関係者から批判を浴び、その結果同社はLGBT+インクルージョンに対するそのアプローチを見直すきっかけになりました。




・ペイパルやドイツ銀行の事例
 2016年、米国のノースカロライナ州がLGBTI当事者や同性カップルに与えていた保護や権利を撤回する法令を制定したことを受け、ペイパルやドイツ銀行は同州での事業展開計画を取りやめました。その結果、同州の雇用の機会が減り経済的打撃を受けたため、同州は当該法令の大半を撤回しました。




PGLEのウェブサイトには多くの対応事例、ベストプラクティスが紹介されています。「1.人権を尊重する」、「2.差別をなくす」、「3.支援を提供する」、「5.社会で行動を起こす」という各行動基準について、2022年3月現在、複数の企業のD&IポリシーやLGBTIの人権保護に関するポリシーやCEOメッセージ例を参照することができます。
 ビジネスと人権に関する企業の取り組みが一層進展している近時において、国連LGBTI企業行動基準に賛同している先進的な企業などの取り組みは、掲載されている以外にもさらに進展しているものと予想されます。




世界で賛同企業が広がる一方、日本の賛同企業は5社のみ
 OHCHRは、国連LGBTI企業行動基準を普及させるため、その公表後数年間に渡って、米国、イギリス、イタリア、インド、オーストラリア、セルビア、ブラジルなどさまざまな国で順次ローンチイベントを開催、さまざまな企業との対話を継続し、また賛同企業を募る活動を展開してきました。
 日本では、2018年6月、東京青山の国連大学本部ビルエリザベス・ローズ国際会議場で、アンドリュー・ギルモア国連人権担当事務次長補・OHCHRニューヨーク事務所長を招いて、OHCHRとLGBTとアライのための法律家ネットワークが、国連広報センター後援の下、ローンチイベントを開催しました。ローンチイベントでは、富士通が日本企業として初めて賛同を表明し、賛同の経緯について説明しました。
 2018年当時100社程度であった賛同企業数は現在360社を超えていますが、その内訳は欧米系の金融企業やIT企業、プロフェッショナル・ファームの他、ファッションや化粧品業界など、多くの業種の企業が多数名を連ねています。一方、日本の賛同企業はまだ数少なく、富士通、マルイグループ、野村証券、リクルートホールディングスおよび日本たばこ産業の5社にとどまっています。
 賛同企業数は前述の国連グローバル・コンパクトの1万9654社(注2)や女性のエンパワーメント原則の6363社(注2)に比較すればまだ数は及びませんが、グローバル・フォーチュン500企業のうち76社が賛同し、2021年7月にはカナダ政府が賛同を表明するなど、賛同企業・組織は増え続けています。
注2:どちらも2022年4月4日時点
 なお、国連LGBTI企業行動基準は、「4.他の人権侵害を防止する」および「5.社会で行動を起こす」において、サプライヤーなどの取引先への働きかけなどに努めることを求めています。これは企業が事業を行う国の法令・制度を前提としつつ、社員を含むステークホルダーの人権を侵害しないための適切な対応を求めるものであって、法令・制度に違反することを要請するものではありません。
 またそのような国において、賛同することで訴訟リスクやアクティビストの攻撃の対象になるリスクを危惧し慎重になる企業もあるかもしれません。しかし、国連LGBTI企業行動基準の策定にかかわったOHCHRの担当官(当時)の1人Fabrice Houbart氏によれば、訴訟に至った事例はなく、またアクティビストが反応した事例も極めて少数かつ例外的です。
 このようなリスクは、企業が適切な調査を行い、創意工夫を行うことによって十分対応可能であると考えられます。




策定にかかわった担当官が語る成果と課題
 筆者は、国連LGBTI企業行動基準の公表後、賛同企業を募る活動を通してその普及のための努力をしてきたFabrice Houbart氏に、国連LGBTI企業行動基準の課題と成果について話を聞く機会がありました。
 Houbart氏は、「LGBTIに派生する人権問題に着目した国連LGBTI企業行動基準が、OHCHRのウェブサイトに掲載され、国連という組織の人や問題の優先順位に関わらず、今後も消えずに存在し、企業の指針となり続ける意義は非常に大きく、その実現に貢献できたことを誇りに感じる」と力強く語ってくれました。
 他方、「LGBTIに関する人権問題が人身売買や少数民族弾圧などの人権問題と比べると優先順位が下がってしまうこと」、「国連の活動が企業に対する援助になってはならないため国連の活動には限界があること」、ゆえに「LGBTI当事者の人権問題の解決のために真に必要である措置は、国連LGBTI企業行動基準の策定では足りず、LGBTI当事者の人権の真の保護・実現のために国・企業をはじめとする社会の一層の努力が必要である」とも語っていました。
 「国連グローバル・コンパクト」の提唱から20年経過し、また「ビジネスと人権に関する指導原則」の策定から10年経過しました。その間、20カ国以上がその実施のための行動計画を策定する中、日本ではようやく2020年10月に行動計画が策定されました。
 日本が策定した行動計画には「法の下の平等(障害者、女性、性的指向・性自認など)」が明示的に記載されており、また、今後行っていく具体的な措置として「性的指向・性自認に関する理解・受容の促進」が明記されています。
 日本そして日本企業の取り組みは、OECDの調査報告によっても、他の先進諸国と比較してより一層のキャッチアップが必要となることは明らかです。国連LGBTI企業行動基準、そして多くの企業の対応事例の集積を生かしつつ、日本においてもLGBTI当事者の人権の尊重そしてより一層インクルーシブな企業環境・社会環境の実現に向けて、国内・国外における取り組みが一層進展することを願ってやみません。




〔参考文献〕
UN Free & Equal | Global Business Standards
「Gap Analysis Tool」Partnership for Global LGBTQI Equality
2019.『大阪市民の働き方と暮らしの多様性と共生にかんするアンケート報告書(単純集計結果)』釜野さおり・石田仁・岩本健良・小山泰代・千年よしみ・平森大規・藤井ひろみ・布施香奈・山内昌和・吉仲崇
「性的指向と性自認の人口学─日本における研究基盤の構築」・「働き方と暮らしの多様性と共生」研究チーム(代表 釜野さおり)編 国立社会保障・人口問題研究所内




LGBTとアライのための法律家ネットワーク 藤田直介、大島葉子

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