LGBTと
アライのための
法律家ネットワーク
職場2023.05.29

「合理的配慮」とは何か?トランスジェンダー社員の裁判例で対応方法を解説


 勤続十数年のベテラン男性社員がある日突然女性として勤務したいと申し出たとき、あなたの会社は適切に対応できるでしょうか? 不適切な対応は、優秀な社員の退社、長期にわたる紛争、労災請求のほか、メディア・SNSを通じた自社の評判の下落につながりかねません。LGBTフレンドリーではない企業としての評判は、自社の人材採用にも重要な影響を及ぼすかもしれません。企業としての適切な対応について考えます。(この記事はオンラインメディアBusiness+ITに2019年11月1日に掲載されたものです)。




<目次>
1.【サンプル事例】もしこんなことが起こったら?
2. 対応のどこに問題があったのか?
3.実務担当者が押さえておくべき性的指向・性自認に関する4つの重要な前提
 ●前提(1)性的指向・性自認(SOGI)は重要な人格的利益
 ●前提(2)SOGIはセンシティブ情報
 ●前提(3)SOGIは百人百様
 ●前提(4)マジョリティと異なるSOGIは疾病ではない
4. LGBT施策の特効薬「合理的配慮」とは?




【サンプル事例】もしこんなことが起こったら?
 舞台は中堅上場企業のC社。主たる登場人物は、人事部長Jさん、営業部長Bさん、製造部デザイン課ベテラン係長Tさん。
 Tさんは自分の性別に違和感をもつMtF(Male to Female:生まれつきの身体は男性のものだが、心は女性という人)のトランスジェンダー(生まれつきの身体と、自認する心の性が一致しない人)で、就学前からの違和感を抑制したまま、C社に男性として入社。入社後まもなく性同一性障害の診断を受け、ホルモン治療を行うようになり、家庭裁判所の許可を得て女性名に改名するなどプライベートでは女性として生活してきました。
 入社から15年後、C社は製造部門を売却することとし、Tさんに営業部への配転を内示、Tさんは社内において男性として勤務を継続することに長年耐えがたい精神的苦痛を感じていたため、配転を契機に、女性服での勤務及び女性トイレ・更衣室の利用を、営業部長Bさんに申し出ました。
 驚いたB部長は直ちに人事部Jさんに相談、Jさんが顧問弁護士に相談したところ、「部門の売却に伴うもので配転の必要性・合理性もある。性自認といったプライベートな事情について配慮する必要はないし、会社として女性社員や取引先が感じる違和感など職場秩序・業務への支障をも考慮する必要がある」とのアドバイスを受け、Tさんと一切話し合いに応じることなく、配転を命じました。
 Tさんは会社の対応に反発、出勤を拒否するとともに、会社の不当性を訴えました。その後会社と話し合いが行われ、無断欠勤日数について有給休暇として消化することを会社が認め、Tさんは職場復帰することに同意しました。【C社対応(1)】
 ところが復帰第一日、Tさんは女性の服装・化粧で出勤、Bさんは、Jさんと相談の上、直ちに男性の服装で勤務することを命じ、以後1週間にわたり命令・拒否が繰り返され、事態は悪化、顧問弁護士と相談の上、会社はTさんに自宅待機を命じ、弁明の機会を与えたうえで、懲戒解雇に踏み切りました。【C社対応(2)】
 Tさんは弁護士に依頼しC社を相手方として地位保全等の仮処分を裁判所に申し立てました。
 裁判所はC社による懲戒解雇を無効と判断しました。裁判所は、まず、Tさんが性同一性障害の治療を受け、職場以外では女性として実際に生活していて女性としての性自認が確立しており、男性として就労すること(女性としての就労を禁止されること)に多大の精神的苦痛が伴うことを認定しました。




対応のどこに問題があったのか?
 この事案は実際に起きた事件(東京地裁平成14.6.20決定)を参考にして作成したフィクションの事例です(なので実際の事件における事実関係を踏まえたものではありません)。
 裁判所の判断は、認識・認定を重要な前提として、【C社対応(1)】については、配転の必要性・合理性を認めつつ、会社が本人からの申出に何ら対応していないことや、Tさんの申し出を拒否する具体的な理由を説明していないことを問題視。
 また、【C社対応(2)】については、Tさんが女性の容姿をして就労することが企業秩序・業務遂行に著しい支障を及ぼす理由(女性社員や取引先の嫌悪感)の説明が不十分であると判断しました。




実務担当者が押さえておくべき性的指向・性自認に関する4つの重要な前提
 C社の対応は果たして間違っていたのでしょうか? 裁判所の判断は妥当だったのでしょうか?
 裁判所の決定を精読すると、C社は「性的指向・性自認に関する重要な4つの前提」に関する理解を欠き、「合理的な配慮」を提供しなかったため、結果として、長期にわたる社員との紛争を招き、また懲戒解雇が無効と判断される事態を招いてしまったと考えられます。ここで、4つの前提を1つずつ解説しましょう。




●前提(1)性的指向・性自認(SOGI)は重要な人格的利益
 性別は、社会生活・人間関係における個人の重要な属性として、現代社会に深く根づいています。性自認に沿って生きることは重要な人格的利益であり、性的指向も、いかなる人と親密な関係をもつのかもたないのかという個人の人格の根本にかかわる問題です。
 性的指向・性自認(SOGI:Sexual Orientation, Gender Identity)は、単なる趣味・嗜好の問題ではなく、本人の意思でいかんともできるものではありません。職場で本人の性自認・性的指向と異なる対応を行うことは、本人にとって多大な精神的苦痛をもたらすことから、精神的疾患の原因となったりする可能性があるほか、重要な人格的利益にかかわるからこそ、いったんこじれると紛争が長期化します。
 SOGIに関する対応については、本人に寄り添った慎重な対応が必要です。裁判所の判断の根底にあったのはまさしくこの認識であり、C社はこの認識を欠いていたため、以後の対応が裏目に出たと考えられます。なお、その他適切な対応のために実務担当者が押さえておくべきポイントは以下のとおりです。




●前提(2)SOGIはセンシティブ情報
 SOGIについて無理解、偏見、差別が存在していることは、裁判例・報道事例から、厳然たる事実です。SOGIが重要な人格的利益であることとあわせて考えれば、SOGIについては本人のみが開示するか否か、いかなる範囲で開示するかの決定権を有します。また、企業がSOGI情報を取得した場合には、人種、信条、社会的身分などと同様に、本人に対する不当な差別、偏見、その他の不利益が生じないよう、取扱いにとくに配慮をしなくてはいけない情報であるとの前提で対応する必要があります。




●前提(3)SOGIは百人百様
 「LGBT」という言葉は性的少数者の総称に過ぎず、性的指向・性自認のあり方は、性的指向が男女両方に向く人(バイセクシュアル)、いずれにも向かない人(アセクシュアル)、性自認が男女いずれにも規定されない人(Xジェンダー)など、多様です。
 企業対応にあたって大事なことは分類することではなく、それぞれの個性に応じた適切な対応をすることです。特に、個別の紛争については、類型的な対応や思い込みによる対応はかえって事態を悪化させます。




●前提(4)マジョリティと異なるSOGIは疾病ではない
 「ゲイ・レズビアン・トランスジェンダーなどマジョリティと異なる性的指向・性自認が矯正すべき、または矯正可能な疾病である」という考えは、歴史上も世界的にも、多くの悲劇を生んできました。
 WHO(世界保健機関)は、1990年、『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』(ICD)から同性愛(homosexuality)の項目を削除し、「同性愛は治療の対象にはならない」と付記、また2019年には性同一性障害を「精神疾患」から除外し、医療サービスの対象となる「性の健康に関する状態」のなかの「性別不合(Gender Incongruence)」に変更しました(2022年1月発効)。
 「前提(1)性的指向・性自認(SOGI)は重要な人格的利益」で記載したとおり、SOGIが本人の意思でいかんともできるものではないこととあわせ、性的少数者であることは矯正すべき・強制可能な疾病ではないということをきちんと認識しておくことが、たとえばMtFのトランスジェンダー女性に「男性に戻ったらどうだ」なとと発言してトラブルが一層深刻化することを防止するうえでも、極めて重要です。




LGBT施策の特効薬「合理的配慮」とは?
 障害者雇用促進法は使用者に合理的配慮の提供を義務づけています。同法及び同法に基づく合理的指針は、企業がLGBT社員に対する適切な対応を考えるにあたって参考となり、また多くの場合、合理的配慮を提供することによって、トラブルを防止し、円滑な労使関係を構築することができます。
 実務担当者が押さえるべき合理的配慮のポイントは以下のとおりです。
 第一に本人の意向を十分に尊重し、相互理解に立脚した、十分な話し合いを行うこと。当事者・本人が直面する困難について単なる事情聴取にとどまらない理解と対話の場をもち、必要に応じて専門家との相談を行うことも有効です。
 第二に、加重な負担に該当するなどの理由で、本人が希望するどおり配慮することができない場合には、その理由を本人に具体的に説明する必要があります。「他の社員・取引先の違和感・嫌悪感」といった抽象的な理由では不十分であることは当然です。
 この2点は上記事件で裁判所の判断を左右したもっとも重要なポイントと思われます。
 第三に、行う配慮が円滑に実施されるよう、職場内での意識啓発を行うこと。第四に、事業活動への影響、実現困難度、費用負担の程度、企業の規模・財務状況などを考慮して、過重な負担に該当するため本人の意向にそった配慮ができない場合においても、安易にそう結論づけることなく、本人の意向を十分に踏まえて、中長期的な観点から実行可能な諸施策を検討すること。最後に、相談体制の整備も重要なポイントです。
 「合理的な配慮」の提供の薬効はトラブル防止にとどまりません。正しい知識に基づいて正しく処方・適用することにより、LGBT社員がその能力を有効に発揮することを通じて創造性を発揮、生産性の向上・離職の防止など、企業成長にとっての特効薬となります。




LGBTとアライのための法律家ネットワーク 共同代表理事 藤田直介

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